神様 |
大雀命 ( おおささぎのみこと ) 誉田別命 ( ほむだわけのみこと ) 武甕槌命 ( たけみかずちのみこと ) 道志留辺命 ( みちしるべのみこと ) 猿田彦命 ( さるたひこのみこと ) 市杵島姫命 ( いちきしまひめのみこと ) 事解男命 ( ことさかのおのみこと ) 伊邪那美命 ( いざなみのみこと ) 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ ) |
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お祭り日 |
1月7日 正月祭(しょうがつさい) 2月中午の日 二の午祭(にのうまさい) 5月7日 五月祭(ごがつさい) 8月第四土曜・日曜 例大祭(れいたいさい) [若宮八幡宮例大祭 (わかみやはちまんぐうれいたいさい)] 12月31日 除夜祭(じょやさい) |
場所 | 横浜市南区大岡1ー5ー1 |
TEL | 045(714)6200 |
FAX | 045(731)5913 |
いわれ |
源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。 当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。 建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。 永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。 明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。 大正15年8月27日横浜市幣帛供進の指定社となり、昭和21年宗教法人法令に依り神社本庁所属の神社となりました。 終戦後道徳は弛緩し、思想低下し世情混迷頽廃をうれい、20ヶ町の氏子有志は神威の加護のもとに恒久の平和を祈念し祖国再建の成就を念願し昭和22年時の宮司寶積育三は若宮八幡宮奉賛会(初代会長渡部清治)を組織し御由緒深き若宮八幡宮を維持、愈々神威顕揚に奉仕すると共に念願達成に努めました。 昭和36年私たちの祖先が建立した床しい茅葺きの社殿もいたく古び、風雨に耐え難くなりましたので、時の宮司寶積千一郎、奉賛会々長加藤五十春両氏の熱意により、氏子20ヶ町の奉賛会理事諸氏と協議の上、御造営奉賛会を組織し、広く浄財を集め昭和39年10月、現在の八幡造銅板葺の御社殿(本殿・幣殿・拝殿)及び神楽殿、社務所を造営再建いたし今日に至っております。 |